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自己紹介~今に至るまで~

幼少期まで

 

1987年岩手県一関市千厩町に誕生。3兄弟の次男。

自然豊かな田舎でのびのび育ったかと思います。

 

3歳に脳の松果体に水頭症を発症し、入院し大きな手術をしています。

髄液が脳内にたまってしまう病気で、農の発症個所から膀胱にシリコンチューブを通し流すよう手術をしました。今でも機能しています。

この病気と入院生活は考えると自分の感性に大きな影響を与えていると思います。

 

手術はまれにみる大成功だったようで、後遺症もなくスポーツや勉強問題なく健康に育ちました。

 

このころから自然に対する好奇心が豊富で、友人と遊ぶより植物を採取したり観察したりするのが好きでした。

トトロのサツキとメイの真似をして、木の実を集め畑に埋めて育ててみたりしました。

 

畑の肥料を吸って数年で大きくなった木々は邪魔だったようで、母が勝手に切ってしまったときに憤慨したのを覚えています。

 

小中高

 

小学校

 

勉強はできましたが運動が得意ではなく、休み時間は一人野山に入ったり、公邸で昆虫採集、磁石で砂鉄集めをしていました。

人に好かれる性格だったのと、自分自身も好き嫌いなく接するタイプだったので楽しく過ごしました。

人を笑わせるのがとても好きでした。今思えば変わった感性をしていたと思います。

 

 

 

中学校

 

小学校の調子こきっぷりが和らぎ、少し落ち着きました。

いわゆる優等生で、生徒会長を務めました。全体を見て把握する能力みたいなのがあったのかもしれません。

変わった絵を描くことがあり、それを覚えている同級生からいまだに言われます。

 

 

 

高校

 

神学校に進みより平凡さが増したと思います。人を笑わせるということは相変わらず好きでした。

隣町の高校に電車で1時間かけて通ったので、勉強と部活が高校生活のすべてでした。

それでも自分の興味のあることは猛烈に突き進んでしまうところがあり、体育祭や文化祭では係りの役割を出て勝手に取り仕切っていました。

 

 

大学生~社会人

 

一人暮らしして東京の大学に通いました。友人に恵まれ、楽しいキャンパス生活を送りました。旅行が好きで、国内外問わず旅していました。

自然がやはり好きで、授業を終えたらそのまま高尾山登頂したりしていました。

 

東京で就活しましたが、大阪での採用になりました。愛嬌がいいので、良好な人間関係の中で様々な方に良くしていただいたと思います。

その生活が1年も経たないうちに病(悪性脳腫瘍)で倒れてしまい、そのまま地元近くの仙台の東北大学病院に入院しました。

 

病気は幸いなことに完治し、会社に復帰させていただくも、思うことがあり辞めさせていただき、また地元に戻ってきました。

 

 

地元での活動

 

地元に帰郷後、好きだったインテリアやアートやデザインの勉強をし直そうと、大学や専門学校のパンフレットをあさりました。

しかしピンとくるものがなく、独学で制作活動をすることにします。

 

ホームセンターでにて小学生なんかが学校で使う水彩絵の具を購入し、画用紙や段ボールなど平面であればなんにでも筆を走らせました。時にはティッシュにも描きました。

 

3年の製作活動を経て、地元で第1回となる個展を地元千厩で開催しました。

 

それを機に、芸術祭や展示のお誘いがあり活動の幅を広げていくかたちとなります。

地物と町中でもやらないかとお誘いもあり、地域活性化の活動にも繋がることができました。

 

 

畑に目覚める

 

個展会場が母の実家であり、里山あに囲まれた古民家でした。リンゴ園跡地であり、広大な土地が荒れ地のまま残っていました。

 

その場所で個展を重ねるうちに、この豊かな自然と静かな場所を放っておくのはもったいないと思うようになり、土いじりが好きなこともあって畑を始めることにしました。何より、疎のリンゴ園は子供の頃にたくさん遊んだ思い出の場所だったのです。

 

同じ時期に自然農法という農法を知り、耕さず自然を最大限生かした畑ができることに衝撃受け、後期しいもあり、自然農王で畑を始めました。

自然農法を始めた人物が「いかに自分の昼寝の時間を増やすか」と考えたというのも自然農にした決め手です。

 

様々な経験を経て、現在はアート活動と畑、岩手県食の匠の麦芽飴の普及活動、多肉植物栽培などをしています。最近は「千厩ウサギちゃんプロジェクト」をはじめ、オリジナルグッズなどを作成中です。

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